太平洋岸自転車道約1400km実走調査 黒潮をさかのぼる近代版自転車東海道其の一
目次
走ってみなければわからない、国内最長のナショナルサイクルルート太平洋岸自転車道を和歌山の青年(?)2人が人と人を繋ぎながら、9日間旅をした記録と各地域の魅力を3回に分けて紹介する。其の一。
プロローグ
今回実走したメンバーはニシバ(公務員)とゴンザ(会社員)。この企画は、ともに36歳の2人が活動している和歌山サイクルプロジェクト内でのやり取りから始まった。
ニシバ
和歌山市って太平洋岸自転車道のゴールなんだよね。スタートは千葉県銚子市、ゴールは和歌山県和歌山市。この約1400kmのルートがもうすぐナショナルサイクルルートになるらしいよ。
ゴンザ
そもそも、ちゃんと走れるん? どうせ名前だけちゃうん?
ニシバ
いや~わからん。でも国に認定された世界に誇りうるサイクリングルートになるんだって。そのために和歌山市も整備してるよ。
ゴンザ
なんもかわってないやん。少なからず俺の走ってるコースは変わってない。
ニシバ
じゃあ、誰よりも先に走ってみる?
ゴンザ
そやな、走ってないのに文句言えないよな。行くか。
と、まさに和歌山に住む関西弁の2人がノリと勢いで考えたのがきっかけだった。
そこから新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、しばらくこの計画は延期になった。
何度も話し合い、少し落ち着いた5月の、オリパラ期間に設定しよう! ナショナルサイクルルートとして認定されたのだから、認定後初の完全トレースにしよう!ということになった。
0日目:移動日からありがとう千葉県
和歌山市を車で出発しスタートの千葉県銚子市へ、そして銚子市役所の皆様にご挨拶。
忘れずに和歌山のPRを行い、今回の目的と意気込みを説明。銚子市から銚子と和歌山の関係や、歴史を聞いた。
実は銚子の漁業は江戸時代に紀州移民によって伝えられ繁栄した。そして銚子の醤油醸造を発展させたのも紀州人(和歌山人)たちだった。銚子と深い絆で結ばれている和歌山は特別な存在になっている。この自転車道の上には紀州とゆかりのある街が数多くあり「黒潮が結ぶ絆」を実感できることと思う。ぜひ時間があれば立ち寄ってほしいとのことだった。
その後、まさかの銚子市長とお会いできる時間をいただいた。そして越川信一市長(写真左)、から激励のメッセージをいただくゴンザ(中央)、ニシバ(写真右)。三人で和歌山のWポーズ。
銚子市役所を離れ、ホテルへ移動すると、さっそく自転車ウェルカムなものがあった。
エントランスに自転車ラック! このラックのおかげで前日の準備を行え、翌朝の走る準備がすごく楽になった。全てのホテルでラックがあったり、自転車持ち込みができたりすると、この1400kmの旅も本当に楽しいものになるのではないかと感じる瞬間だった。
1日目:千葉県は和歌山と繋がっていた!?
翌朝5時に起床、スタートの太平洋岸自転車道の起点、銚子駅前のモニュメントまでは500m。
途中銚子駅でサイクルトレイン「B.B.BASE」のゲートを見ながら、モニュメントに到着。
モニュメントの前には見送りに来た銚子市の皆様と、一緒に走ってくれる地元のサイクリングメンバーに集まっていただいた。記念撮影とコースの内容を聞き、お互いの地域の情報交換後スタート、太平洋岸自転車道を犬吠埼経由で、屛風ヶ浦へ。
屛風ヶ浦は海が東側にある!! (和歌山の西側に住む我々は海が西にある。)朝日が海から出てきて最高に気持ちがいい!! 気分はツール・ド・フランス。ひまわり畑に挟まれた道が日本じゃないみたい!! とテンションアゲアゲで走った。
ゴンザからツール・ド・フランスのような写真を撮ってほしいと言われニシバが走って追いかけた写真がこの一枚。
10km程度走り、銚子市の皆様とお別れしてからは、ゴンザが実走、ニシバがサポートドライバーで走行開始。残念ながらこの辺りから雨が降ったり止んだりの1日だった。走りやすい道が多かったが九十九里周辺はルート案内が少なく迷ったり、道が砂に埋もれていたり、ライダーのゴンザから「こんな道、走れない!!」とお怒りの声も。
休憩しながら勝浦へ。
勝浦駅が太平洋岸自転車道のゲートウェイ(玄関口)になっているため駅前に行くが何もない。
近くの観光案内所へ向かうと300m位離れたところに観光協会があるということで、伺うとレンタサイクルや観光案内マップがある!
ここではお薦めの飲食店や周辺のポイントなどを教えていただいたが、ここでも和歌山から来たという話をすると、和歌山と千葉とのつながりも。千葉県勝浦市と和歌山県那智勝浦町は先に述べた通り紀州人の進出先で漁法は実は一緒で鰹の一本釣りが有名。千葉には「紀国(きのくに)」さんもいて紀の国和歌山が由来だと言っていた。
話が盛り上がりお別れしたが、よくよく調べてみると関西弁(和歌山弁)が多く使われているとのこと。そういえば今思うと違和感がなかったことを思い出す。千葉で関西を感じたいならこの辺りで遊ぶのが面白いのかも。
勝浦から先はほとんど車道を走る太平洋岸自転車道。途中昼食をとりながら白浜を通過し、ますます気分は和歌山。一気にこの日の行程、約230kmを駆け抜け、金谷港から神奈川県久里浜港行きの東京湾フェリーに飛び乗り千葉県とはお別れ。
最後まで和歌山のような歴史文化を感じながら小さな紀伊半島を走り切った気分だった。
2日目:神奈川県は笑顔と発見の連続
久里浜港スタートの2日目。朝4時、宿泊先で天気を確認すると大雨・強風、その後すぐに大雨警報。
これは走行不可能と判断し車で警報解除までゆっくり太平洋岸自転車道を調査。
この日サポートしてくれる三浦さんは、本職は都市交通の研究者だが、今日は神奈川県の自転車おじさん。サポートカーの運転を担当していただく。
スタートの久里浜港で。フェリーを降りたところから、太平洋岸自転車道の案内がないことに驚きながら三浦半島の調査を開始する。
関東ローム層と黒土に驚きながら畑の間を走っているとさっそく風車の下にサイクルラックと謎のマグロの頭のモニュメント……。これは2013年に三浦半島の市長たちがサミットを行った際に自転車半島宣言を掲げ整備されたモニュメントとのこと。
太平洋岸自転車道の神奈川区間も様々な自転車の取り組みを行っていることを実感できたが、この久里浜〜逗子区間は、かなりきついアップダウンの直後に信号があったり、狭い道に渋滞が多く千葉を走った我々は正直しんどい区間だと感じた。しかし、海水浴場や独特のまちなみが楽しく、脚力を鍛える練習コースのついでに観光したいサイクリストには良いのかもしれない。
ただし、事故が発生しやすいように感じるのでしっかりと注意が必要だ。また、良い天気の日に走りたいと思った区間だった。
逗子で待ち受けていた、湘南でシニア向けサイクリング教室を実施している方と太平洋岸自転車道の魅力や問題点に関する意見交換をし、昼頃に茅ヶ崎市柳島のゲートウェイ「柳島スポーツ公園」に到着、ここでも茅ケ崎で右側通行啓発のプレートでルール啓発などを行うグループサポーターや昨日開店した自転車店と意見交換を行う。都市部での安全なサイクリングは教育も必須と感じた瞬間だった。
合言葉は「キープレフト!!」
柳島からは1号線を並走する区間で本格的に実走開始。高速下の分岐を少し迷うような道や、ホテルの敷地を突っ切る太平洋岸自転車道など、ここにしかないような区間を走る。南側は海・ずっと海。
小田原市に近づくとゴンザが「小田原城に行きたい」と言う。今回活躍した骨伝導のインカムを通じ、三浦さんから城の近くを太平洋岸自転車道が通っているから寄り道しようと案内があった。小田原城に近づいたが、目の前のカーブで小田原城から離れていく。正直、せっかくの太平洋岸自転車道のコースにおいて、お城に寄れないのはもったいないと思った。お城の横にある有名な「ういろう」屋さんの城そっくりの建物を通り過ぎる。
ゴンザはこのういろう屋さんの建物で満足したらしい。ニシバも「お城!!」と叫んで、三浦さんは「ちが~う!!」と言う。
まさに太平洋岸自転車道を走る珍道中。
小田原を過ぎ静岡県に近づくと坂が始まる。相模湾を眺めると遠くに昨日出発した房総半島などこれまで走ってきた絶景が見えるが、ニシバは燃え尽き、昼の揚げ物も喉を通らない。高低差がある道が続くため海を見下ろす景色は最高だった。
ここからは山を越える度に温泉街がある。湯河原、熱海、宇佐美、伊東。どこに泊まっても温泉宿という感じがする。自転車で走ると分かるのだが、景色は大体同じに感じてしまうので熱海ぐらいで飽てしまうのが本音。
伊東にある道の駅マリンタウンの前を通り過ぎる時にジオパークののぼり旗を持つ男性が手を振っている。ゴンザもニシバも「えっ!? 何!?」とよく見ると我々を応援してくれている。
そう、我々は今回の企画で位置情報をウェブマップにリアルタイムに発信しSNSで投稿しながら走っており、昨日銚子市長と撮影したSNSを見て駆けつけてきてくれたとのこと。(後に銚子市のフェイスブック閲覧最多記録を更新したことを知り震えあがるゴンザとニシバ。)
嬉しかった。元気が出た。
記念撮影を行い本日のゴールの宿を調べると、すぐそこだったのでのんびりと走り、宿にゴール。
2日目の宿がすごかった。見た目はすこしくたびれた昔ながらの旅館という風情。
中身はしっかり整った趣のある旅館。部屋は広く自転車乗りにやさしい設備がいっぱい。
自転車は玄関で保管(電動コンポーネントDi2が充電できるコンセントも近くにある! 完璧!)、冷たい水も飲み放題、温泉も入り放題、コインランドリーも近くにある。Wi-Fiが弱くてそれ以外は大満足。自転車旅が豪華な伊豆旅行になった瞬間だった。
この日サポートしていただいた三浦さんを駅で見送り2日目も無事走った。(今日も雨。)
3日目:伊豆イチは夢のまた夢
伊東市スタートの3日目。朝5時、今日も雨。それも予報はずっと雨。激しい雨。危険な風。
しかし、本日はまたゴンザとニシバの二人。メインライダーゴンザが走り、ニシバがサポートで走り切るつもりだった。スタート直後から坂。坂。坂。下り坂。さらに台風直後の爆風。太平洋岸自転車道は天気を味方につけ、この旅の中のボスステージ伊豆半島を最強のラスボスに変化させて我々を待ち構えていたのだ。
数km進んでは立ち止まる。雨宿りするも寒くて立ち止まることができない。悔しがるゴンザ。さすがに無理と思いニシバも「ゴンザ、さすがにあきらめよう。車でどんな道か調査しよう」というが。ゴンザは「まだ行ける気がするので待って」と言う。しかし、風も雨も限界を超える。
そう、この先道路冠水で交通規制があった。二人そろってその瞬間。「よし、ショートカットコースに変更!!」と意見が一致し、スタート地点の伊東市へ戻る決断をした。伊東市に戻るとそこは雨が止んでおり、ショートカットコースの亀石峠越えを確認すると雨も少なくコンディションも悪くない。
メインライダーゴンザの気分も回復し、ここからは伊豆半島を走れなかった気持ちを坂にぶつけるかのような激走でゴンザが坂を上っていくと山頂に到着。
すぐに自転車の国サイクルスポーツセンターの看板があった。そうここ静岡は自転車の国(ちなみに和歌山はサイクリング王国)。オリンピック直後の伊豆ベロドロームがある静岡県。ゴンザがこの旅で絶対に立ち寄りたいポイントだった。
入口は警備員等がいっぱいで入れる雰囲気ではなかったが外から記念撮影を行い満足して、伊豆の国市方面へ下って行った。この日の予定ゴール地は道の駅伊豆ゲートウェイ函南だったのでお昼までにゴールすることを目標に向かっていく。すると足湯を発見。古奈湯元公園にある足湯だった。ここは伊豆有数の温泉郷「伊豆長岡温泉」。
開湯1300年の歴史を持つ東部の古奈地区は伊豆山の走り湯、修善寺と並んで「伊豆三古湯」と言われ、弘法大師、源頼朝、源頼政など歴史上人物ゆかりの名湯として知られるらしいのだが、まさかの弘法大師とのつながりがあるとは……。和歌山にある世界遺産高野山を修禅の道場として開創した空海こと弘法大師。まさかここで空海が出てくるとは思ってもいなかった。(実は写真の足湯の名前を調べて気付いた。)我々は自転車で空海が歩いた道のりを走っていると思うと、この太平洋岸自転車道も本当に昔からつながりのある道なのかもしれないと感じた。
と思ったのは後のことで、足湯に入るか入らないかでゴンザと揉めていたのが実際の話。靴を脱ぐのが面倒なゴンザ。足湯が全国の自転車拠点にあってもいいと思うニシバ。足湯が必要か必要でないかはこの日の夜、SNSの視聴者に意見を聞くくらいの揉め事に発展していた。(結論は靴のまま足湯に入ったら楽しいかもしれないという意味の分からない終着点に落ち着いた。)
時間があったので結局靴を脱いで入ったのだが、正直気持ちよく、なんだかのんびりしてしまった。ニシバとしては足湯と自転車は非常に親和性の高いものであると再認識した瞬間であった。
ゴールの道の駅は人がいっぱいだったので、夕方改めて調査に来ることにして、この日の宿に。
この日は自転車の国の宿コナステイ。
洗車はできるし、フロント前に自転車ラックがある。何なら2Fの廊下にもラックがある。
自転車と一緒に寝るような感覚の宿だった。そういえばオリンピックが終わったばっかりのこの日。某MTBトップチームか貸し切りだった後に宿泊したのだが、実はこの日も選手が泊まっていたようで、とんでもないサイズの自転車がラックにあった。(デカいんです。脚が長いんです。ゴンザとニシバが短足かと勘違いするくらい脚が長かった……。)
ここコナステイではスタッフの平塚吉光さんと自転車指導と安全に走る極意について意見交換。この後の太平洋岸自転車道を走り切るために必要なお話をたくさんさせていただき、我々も勉強になった。
自転車乗りの方なら是非ここに泊まって平塚さんとお話をするのも旅の楽しみになるかもしれない。その後もう一度道の駅伊豆ゲートウェイ函南に戻り行政や地域の自転車団体と意見交換。
伊豆の可能性と自転車の国の底力を感じた一日で3日目も無事走った(今日ももちろん雨)。
9月24日にオンラインイベント「太平洋岸自転車道1400km・9日間の実走報告」を開催
自転車活用推進研究会が主催するオンラインイベントで、今回の企画のオンライン報告会が開催される。申込は以下のページから。
https://www.cyclists.jp/seminar/20210924.html