猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第2回
目次
再びアスリートにもまれる猪野学!
坂バカ俳優、猪野学(いの まなぶ)。NHK BS1の番組「チャリダー★」で活躍する姿は、多くのサイクリストが知るところだ。Cyclist(サイクリスト)で連載中だった「猪野学の坂バカ奮闘記」が、サイト閉鎖にともないサイクルスポーツへお引越し。さらなる活躍をレポートしていく。初回につづいて、第2回もトップアスリートに稽古をつけてもらう猪野さんなのであります。(編集部)
前回は東京オリンピックのトラック競技日本代表取材の裏話を書かせて頂いた。
オリンピックを書いたらやはりパラリンピックの取材の話も書かなくてはならないだろう。
自国開催という事もあり、今回のパラリンピックは、いつもより多くテレビやネット中継などで取り上げられ、選手たちの驚異的なパフォーマンスに感動した方は多いのではなかろうか?身体的にもそうだが、メンタルの強さにも平伏す思いだ。
パラアスリートを表す名言がある「失われた事を嘆くな、有るものを最大限に活かせ」これ以上に前向きな言葉が有るだろうか?
パラアスリートのポテンシャル
そんな不屈の精神を持つパラアスリート達を、私が出演するNHKBS1で放送中のチャリダーでも取材させて頂いた。トラック競技 タンデムと取材させて頂いたが、今回は日本パラサイクリングのエース。藤田征樹選手との地獄の不動峠!連続インターバル!乳酸祭り編を書かせて頂こうと思う。
藤田選手は北京、ロンドン、リオと3大会連続出場し毎回メダルを獲っている。
トップの中のトップ選手だ!
待ち合わせたのは茨城県の霞ヶ浦。
そこから不動峠がある筑波山までは自走で移動する。
藤田選手の後ろに付かせて貰った時に、このロケが過酷なものになる事を悟る。
とにかく背中が大きいのだ。私は数々のトップ選手と走って来たが、共通するのは背中だ。肩甲骨から胸郭の後ろが隆起している人は鬼速い!
筑波山までは軽く流しますよと藤田選手。
しかしその出力は230W! 決して軽くはない。「さ!こここらですよ!」と何やら楽しそうな藤田選手。まずは2分走 3本!
なんだ2分走ならいつもやっている。と安心した坂バカがバカだった。
ただ2分上るだけではなく、ケイデンス40rpm縛り! いわゆるSFRというトレーニングだ。つまり重いギアを踏み倒して追い込まなければならないのだ!
重いギアでゆっくり上る事は誰でもできる。しかし追い込むとなれば話は別だ。
重いギアを速く回さなければならないのだ!
大腿四頭筋、ハム、臀筋が熱くなり悲鳴を上げる!痛い!2分その痛みに耐えながら重いギアを回し続ける。
それを3本繰り返したら「サヨウナラ」だ。
何とか3本終えると
藤田選手はサディスティックな笑顔で、
次はケイデンス60rpmで!3分!3本!
ケイデンス60rpmでも相当重いギアだ。
しかしケイデンス40rpmの時よりは少し楽に回せるし、スピードも出る。
しかし3分と長い。
スタート共に両足の筋肉ちゃん達がやめろ!と猛烈に抗議する。
筋肉ちゃんを叱咤し3分踏み続ける。
因みにダンシングはNGだ!立ったら意味がないのだ。
3分踏み続けると不動峠の勾配だとかなり上れてしまう。
ツール・ド・フランス総合2連覇中のダディ・ポガチャルが踏んだ時の様なスピードが出て少し悦に入る。彼等が踏んだら軽く700Wは行くだろうが、猪野チャルはせいぜい350Wと雀の涙だ。
6本のSFRを終えて完全に脚は終わった。
(因みにこのSFRは不自然な動きで腰を痛めやすいので、下腹に力を入れてやると良いそうだ)
次は何かと怯えていると今度は軽く回して不動峠を頂上まで!
軽く回して…サイクリストにとって「軽く回す」ほど信憑性の無い言葉はない。
疑心暗鬼でスタート!
始めは会話が出来るぐらいの強度で本当に軽く回していたが、私は途中から軽く回すの真意を悟る。軽く回し続けると、その内に速く回すに変わるのだ!おかげで脚に溜まった乳酸は散るが心肺機能がたまったもんじゃない。
とんでもない速さで初めての不動峠をやっつけた!
頂上でも藤田選手はサディスティックな笑顔で、次はいよいよメインディッシュです!と。お洒落なイタリアンならテンションも上がるが、流石の私もこの強度でこんなにインターバルをやった事が無いく、血の気が引く。
一度麓まで下山し、いよいよ総仕上げ。
とどめは90秒フルもがき!5本!
90秒はあまりにキツいのでやっても3本までと法律で決まっていたのではなかったか?と訴えてやろうかと思ったが勿論そんな法律は無い。
もう脚が無いので今回はダンシングが許される。
スタートしてダンシング祭りだ!これはキツいが90秒は普段からやっている馴染みのトレーニングなので耐性が出来ている。
しかし3本目以降になると流石に力が入らなくなって来て限界だ。
しかし藤田選手はまだ追い込めている。
藤田選手は交通事故で両足を失い義足だ。
義足は足首の可動が無いので、アンクリングが出来ない為、膝をより高く上げなくてはならない。私よりキツい筈なのに…
「追い込めるのも才能」と誰かが言っていた。
彼は本物のアスリートだ。
5本目には一番高い強度でこのキツいトレーニングを仕上げていた。
トレーニング後のインタビューで彼は語っていた。
やってもやっても上には上がいますからね、「実は表彰台に乗っても嬉しく無いんです。勝った瞬間は嬉しいですけど、次の瞬間にはもう次!となります」
私が勝ったら三日三晩ドンチャン騒ぎしそうだが、
勝者の心理とはそういうものなのだろうか?
いかんせん勝った事が無いから解らない。
しかしこれだけは言える。
藤田選手とのトレーニングはキツかったけどとても楽しかった。
1人で追い込むより、誰かと追い込む方が何故か楽しくなるから不思議だ。
数ヶ月後に私はスマートフォンでパラリンピックのロードレース決勝を観ていた。
そこには不動峠で見たあのサディスティックな笑顔の藤田選手がいた。
先頭集団に残り、虎視眈々とメダルを狙うその姿は、他のどの選手より楽しそうであった。