【コラム】ケルビム・今野真一「自転車、真実の探求」第7回 バーテープの役割を考える
目次
コットンバーテープ
自転車は生き物?
私は自転車をひとつの生き物として考えている。自転車製作を生命現象として考えると(特に製作時)合点がいくことが多くある。これは製作者として何かを丹精込めて作る方にはスッと入ってくる理論かもしれない。
生物と機械の違いは? となると数えきれず、生命感とはここで議論するまでもなく人類のテーマともなり、人それぞれで簡単な話はない。ひとつ言えることは生命とは全てが超絶かつ精巧なバランスを保ち進む生き物とも言える。
なんだか壮大な前置きとなってしまったが、今回はバーテープの話とさせて頂こう。たかがバーテープと思わずお付き合い頂ければ嬉しく思う。
バーテープはレセプター
レセプターとは
「生命にあって、外界から何らかの刺激を受け取り、情報として利用できるように変換する仕組みを持った構造」
自転車に乗る際、あなたが直接触れ尚且つ最も長い時間路面状況やマシーンの情報を受け取るレセプターとなるのは基本バーテープ、サドル、ペダルの3点に過ぎない。
その中でも、人間の手は通常の人間でもコンマ1mmの相違を判断出来るほどの感覚を持っており、強力なレセプターと言える(きさげ職人などはミクロン単位まで判別可能と言われている)。その手が触れるバーテープの選択を誤ったなら、サイクリングに大きな弊害となる可能性も十分にある。マシーンが発する僅かな信号に気づかない可能性もあるということだ。
ライター吉本司氏のように高度なバイクインプレッションを求められるライダーでは、必ず素手でライディングするという方もいるほどだから侮ってはいけない。
バーテープの種類と歴史
初期のバーテープといえば、その素材はコットンであった。僅かなクッション性能しかなく、とても快適とは言えなかったが、おそらく歴史の中では未だに最も長い間君臨した素材であろう。そこから素材は変容し、私の知る限りの歴史的な背景などを語れば、コットンバーテープから始まって様々な素材が出回り、現在では若干厚めのポリウレタン製やマイクロファイバー製に落ち着いてきた様に思える。
雨天走行などを繰り返しても長持ちするために、セラックニスなどを塗り、更に硬くしていた時代や車種もある。その後に流行したのが80年代のエアロブームと共に出現した全くと言っていいほどクッション性を持たない、シャイニーテープなるナイロンを巻くだけの物だった。エアロ効果を狙ったとされる安直な商品にも見えたが意外にレースでも多くの選手に支持され一世を風靡したと記憶している。
コットンやナイロン一枚でヨーロッパの過酷なステージレースを走っていたのだから考えてみれば、驚異的にも思えるが果たして真相はどうだろう。
バーテープ第2世代(勝手にそう呼ぶ)に登場したのはコルクバーテープなどクッション製が高い物だった。こちらは80年代後半くらいから登場し、それまでの常識を覆したように思われる。手のひらが痛いと嘆くライダー達には特効薬のように使われ出し、その流れで現代まで引き継がれている。
その後には、バーテープの下にゲルを入れたりする商品も多く出回り、特に初心者や遠乗りするサイクリストには今でも愛好家は多いと聞くが……。
しかしその変化は、単に素材の進歩やライドの変容、先端技術の到来による物と考えるのはいかがなものだろう?
考えてみてほしい、道は格段によくなりタイヤ性能などもよくなっているというのに、なぜハンドルにクッション性を求めるようになったのか? ツールでさえ、以前は地獄のレースと言われるほどで、パリ〜ルーベを毎日走っているようなレースであったにも関わらず、バーテープに包帯をぐるぐるに巻く選手などはいなかったはずでは?
技術が進歩したのか? 新素材が現れたのか? グローブの進化か? われわれの忍耐力がなくなったのか? 何かが変わる時には必ず原因がある。
真犯人は?
無論商業的理由や時代背景もあるが、我思うに。
単純に「走り」に関して考察すれば、フレーム素材の変貌と見事にリンクしていることに気づく。バーテープ製作の技術が向上したのではなく、そうせざるを得ない状況が見えてくる(ハンドルにクッションを巻くことは難しい技術ではない)。
80年代後半から、ロードレーサーはオーダースティールからアルミやカーボンの非オーダーフレームに移行していく。その弊害(打開策)としてハンドルにクッション性をもたらす結果になっていると言えよう。端的に言えば自転車がショックを吸収しなくなったのだ。
フレーム素材は「クロモリ」→「アルミフレーム」→「アルミ×カーボンフォーク」→「アルミ×カーボンバック」→「オールカーボンフレーム」と歴史を見れば明らかにフレームにクッション性を持たせる為の努力が垣間見れる。しかしクッションバーテープが主流となると、まだまだスティール時代の乗り味は実現されていないと言えるのが妥当な線だろう。
この時期から手や首の痛みを訴える初心者ライダーが多く見受けられる。ベテランライダーであれば、手、足、お尻の3点にうまく荷重バランスを分散させ、硬いバーテープやサドルでも難なく距離を走れる、すなわち最適なポジションやライディングが実現しているということだが、それができなければ安直な方へ事は進む。(以前はそんな製品はなかったので)できないからと言って安易に柔らかいサドルやクッションテープに逃げてしまうと、これは悲劇の始まりで負のループに巻き込まれてしまう。
柔らかいハンドルは、一見手の痛みや首の痛みが取れる特効薬のように見えるが、本当の原因は乗車ポジションや体幹の有無、そしてライディングよるところがほとんどであり、それらを見逃して走っていれば次の弊害が起こるのは明らかだ。
お尻なのか、疲労なのか、人それぞれだろうが、快適なサイクリングの実現は難しい。
また、クッション製の高い=厚いバーテープはハンドルが太くなる。すると手を握り込めないため力んでしまい、疲労が溜まってしまうこともある。
私は初心者の方こそ、可能な限り硬めのサドルやバーテープを選んで頂き、最適なポジションとロードレーサーの乗り方を追求して頂くことをお勧めしている。
本来ロードレーサーは、ある程度のスキルが必要な乗り物なのだ。初心者がいきなり乗って、100kmを優雅に走れる乗り物ではない。
それを、クッションテープで誤魔化してはならない。必ずどこかに負のサインは現れる。初心者は無理だよ! と言っているのではなく、むしろ適切な走り方を浸透させきれていない業界の方に素因はあることを付け加えたい。
バーテープ巻き方の色々
バーテープ巻きは自転車を自身で整備する方の基本中の基本。ある種、最初の難関なのかもしれない。巻き方には様々な種類や好みがある。ケルビムではその他のパーツの組み付け同様、最もクセの出ないスタンダードな巻き方を大事にしている。
・ 向き
ハンドルの端から内巻きで巻く。緩んだり縁がまくれてきたりしづらく、一番耐久性がある。特にエアロのハンドルバーなどバーテープの終わりにフィニッシュテープを巻きたくない場合は、バーエンド側から巻き始め、終わりは接着剤で留めることも。
・ブラケット部の処理
ハンドルとレバーの相性は様々で、つながりがスムーズな組み合わせは稀。段差や凹みがあるところにはバーテープの切れ端を詰めものにして滑らかに。わずかな違いでも心地よさは段違い。ブラケット部を8の字に巻く方法はトップを握っている時緩みやすく、握りも太くなってしまいやすいためおすすめしていない。
・巻きのテンション
充分に、かつ均等なテンションをかける必要あり。バーテープの巻方の中で、ひっぱり方が一番コツの必要な部分かもしれない。テンションがバラバラだとバーテープの厚さが変わってしまったり、やはりゆるいところから剥がれてしまったりする。
・バーテープのチョイス
フィジークやシルバなど、柔らか過ぎず適度に伸びたところからハリが出るテープは美しく巻きやすくもあり好んで使っている。厚さのあるテープの中には、重なる部分が分厚くなってしまい、凸凹が大きいものもあるので要注意。
・スピード
時間をかけていても、逆にテンションや巻く間隔がばらけやすい。均一の力をかけ素早く巻けば間隔もそろいやすく、ノリの効果も落ちにくい。上記のようなチョイスのバーテープは、巻きやすさと美しさ、耐久性を兼ね備えている。因みにデローザ夫人は3分以内でプロ選手のバーテープを巻いていたという。
こんなことをケルビムでは大事に作業している。手触りが心地よい自転車はグレードが1段も2段も上に感じられる。また競輪選手などはゴム製のグリップが一般的だが(規則上も)握った時のグリップ感が最も大事とされる。中にはグローブとセットで販売されているグリップもあり、私も使用していたが無論相性は抜群だ。また、それらを装着する際は中にリムセメントを塗って固める選手も少なくない。
私のバーテープ巻きの師匠は三連勝の今野義氏だ。彼は台湾へのバーテープOEM生産を最初に行った人物で、台湾人にバーテープの「いろは」を教えたのはオレだ! と巻き方を伝授されたのを思い出す。ちなみに、台湾にバーテープ生産を頼む会社を探す際、テニスラケットのグリップを製造する会社を片っ端から回ったそうだ。
車では
例えば、快適性を求める乗用車などでは、ソファーの様なシートはセダンやミニバンでみなさんも馴染み深いと言えるが、スポーツ走行には適していない。F1マシーンのシートやハンドル周りはカーボン製のオーダー製作がマストで、表皮は薄いシートを一枚貼っただけの、クッション性は求められていない。
もちろん車体の些細な変化や動きはライダーにダイレクトに伝わり、車を的確に操ることが可能だ。高スピードの走行では当然の選択。F1のシートがフカフカであったらどうだろう?みなさんも容易に想像つくのではないだろうか?
私の好み
もう、言わなくてもわかってるよ……という声も聞こえてきそうだが、私の好みは、断然薄くてクッション性の無い物だ。ただ、極度のスポーツ走行(スプリント)等もしない為、ある程度動きやすい(グリップ感の少ない)物を選んでいる。またグローブは極力薄い物を選んでいるが冬は寒がりなのでどうしてもモコモコになってしまう……。
地面の感覚はフレームやフォーク、そしてホイールやタイヤの感触を通してダイレクトに伝わり、自転車の性能が伝わってくる。その上でフォークの設計やホイールテンション等を考察するよう努めている次第だ。
まとめ
長い間、人間の体は各パーツが構成されている機械論的な考えと思われて来た。体は各パーツから成り立ち、頭、目、口、手、心臓、肺、肝臓……。全てが独立して機能し、ガソリンならぬ食事をとり、胃でエネルギーに変換させ脚や体を動かし余った物は排泄物となる。
実際はどうだろう。話はそんな単純な話ではなく、そのような理論は幻想に過ぎず、現代医学ではそんな話を言えば笑われてしまうだろうが、生物学に精通していない人間の間ではいまだ機械論的に解釈している方も多い。人体は全ての臓器や細胞が絡み合い助け合い超絶なバランスを保っている。人間の感情がどこにあるかさえ実は証明はされていないという。
視覚を失えば嗅覚や聴覚、感情は研ぎ澄まされ、場合によっては失う前よりも生命力が上回る場合さえある。これが細胞レベルで瞬間瞬間に繰り返されている。どこかが機能しなくなれば必ずと言っていいほどサインを出し、あの手この手で欠陥した箇所の性能補助に勤しむのだ。
自転車やライダーも同じで、素材や乗り方、道路環境に変化があればバーテープに始まりサドルやクランク長なども変化する。自転車を生命感で考えるのなら、不調や問題点のサインはライダーのフォームやパーツの流行に必ず反映されるのだ。たかがバーテープ、されどバーテープ。ライダーの些細なパーツの好みや流行を軽んじてはいけないのかもしれない。
日頃留意していることを述べてしまったに過ぎないが、バーテープを選ぶ際に思い出して頂ければ幸いである。