EF育成チームでメカニック修行開始 家本メカにインタビュー
ロードレースの本場、欧州の門戸を叩くのは、何も選手だけではない。
この春、鹿屋体育大学を卒業し、渡欧。ロードレースの一流メカニックをめざし、スペインを拠点とするEFエデュケーション・NIPPO ディベロップメントチームで活動を始めた24歳の家本真寿(いえもと・まさかず)。“メカニックになりたくて” 自転車競技強豪校の鹿屋体育大学に入学したという少し変わった経歴の持ち主。だからこそ、メカニックという仕事への決意や情熱は人一倍強い。家本メカニックに、過去と未来、そして現在の心境を聞いた。
小さな頃から、自転車が好きだった父親の影響でサイクリングを楽しみ、同じく父親の影響から機械いじりが大好きだった家本。大きくて複雑なプラモデル、本格的なラジコンカー、かまぼこの板に基盤を張り付けたラジオなどを作って楽しんでいたと言う。そのため、自転車に興味をもつと必然的に、乗ること以上に自転車の仕組みや整備に惹かれていった。高校生になると、バイクブランドCannondale(キャノンデール)を知ったことを機に、鹿屋体育大学自転車競技部の活動を知り、当時学生メカニックとして活動していた福井響氏に強い憧れを抱いた。そして鹿屋体育大学に進学し、自転車競技を学ぶ道を歩み始め、メカニックになるという夢は具現化していく。
「大学に行って真剣にメカニックを目指すことに迷いは一つもなく、入学当初から自転車競技が盛んな世界をメカニックとして見てみたいと感じていました。いままで取り組むことすべてが中途半端だったため、年齢的にも挑戦できることの最後と決め、自分のためにも両親やこれまで支えてくださったすべての人に『自転車のメカニックをしています』と胸を張って言えるくらい頑張りたいといった心境でした」。
大学では独学でメカニックとしての仕事を学び、日々整備を行なっていたが、次第に「必死に走る選手たちの自転車を、そんな生半可な知識と技術、技能で整備してはいけない」との思いが強まり、地元山口県の自転車屋さん「サイクリングサロンヒロシゲ」という自転車屋さんでロードバイクの整備をイチから学び、その後はチームNIPPOの中国遠征、欧州遠征、国内遠征でレース機材の整備やレースメカニックの基本を学ぶ。また鹿屋体育大学はトラックレースにも力を入れていたことから、トラックならではの整備技術を磨くため、トラック日本代表チームにも何度も足を運び、工具の扱い方の基本やメカニックとして大事なことを学んだ。そして卒業論文を書き終えると同時に渡欧。スペインを拠点とするチームに合流した。
「大学を卒業してメカニックにならない選択肢は僕にはありませんでした。欧州に渡ることは正直なところ、不安とワクワクが入り混じっていました。本当にやっていけるか不安である反面、自分がどこまで成長できるか楽しみな感情もあったように感じます。欧州のチームにこだわっていたわけではないのですが、日本人が一丸となって戦うNIPPOの体制が好きでした。西勉メカニックのように単身で欧州に渡る勇気があったかと言われるとまだまだ甘えてはいますが、日本人選手やメカニック、マッサー、カメラマン、大門監督とまではいきませんが、そのような先輩の背中を追いたいと考えています」。
メカニックとしての仕事以外にも、たとえばチーム車両の効率のいい停め方や自転車を置く位置など学ぶことは多岐にわたる。またコミュニケーションにしても言語力だけでなく、その奥にある日本人とは異なる感覚や考え方に慣れることなど、多くのことが求められる環境だ。目先の課題は、英語でのやり取りやパーツや物品を細かく管理すること。チーム内では英語でのコミュニケーションが必須。会話はもちろんのこと、メールも英語。それを理解して返す(もちろん英語で)時間をスムーズにしていかなければならない。機材管理にしても、大学の機材とは比べ物にならないほどの種類や量を常に頭の中に入れなくてはいけない。さらに複雑な遠征のロジスティックスに対応し、日常的な自転車の整備もある。
どんなに忙しく、慣れない作業が続いても、家本が大切にするメカニックとしての心掛けは、丁寧な仕事を心がけること、困ったときに考えることをやめないこと、手を抜かないこと、の3つ。「ボルト1本締め忘れただけでも、選手の命、リザルト、他者からの信用にも関わるので、教えられた手順どおりチェックを怠らないようにしています。この考えはまだ欧州に来たばかりですが、この先も変わらないと思います」。仕事のやりがいは『ありがとう』『Thank you』 と言われたとき。パーツを変えたり修理をしたあとに、選手が嬉しそうに自転車にまたがる姿を見ていると、役に立てたと感じ、とても達成感がある。
「今後はチームに欠かせない存在になりたいです。やっぱり仕事が少しずつ増えることは大変ですが、それはできることが増えた証拠でもあるので、もっと忙しくなれるように頑張りたいと考えています。今はワンデイと呼ばれるレース日程が1日だけのレースでも終わったら疲労困憊です。いつかは大きなステージレースでも帯同できるようになること、仕事を任されることが目標です」。
「欧州プロになりたい」という夢は選手にかぎったものではない。ヨーロッパでの経験をもとに、業界の第一線で活躍する先輩スタッフたちの背中を追って、家本の本格的なメカニック修行は始まったばかりだ。