日本人3人目のデルコ・マルセイユプロヴァンスへ移籍、中根英登が見てきた世界

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2019年10月31日、フランス籍のプロコンチネンタルチームであるデルコ・マルセイユプロヴァンスにNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネの中根英登が移籍することが発表された。デルコ・マルセイユプロヴァンスは来季、NIPPOとスポンサーシップ合意に向けて協議中との発表も先日されたばかりだ。NIPPOの名前がつくことになるであろうチームに、現段階発表されている中では唯一の残留組として名前を連ねることになった中根にNIPPOで過ごした3年間について、そしてこの先について話を聞いた。

不調に喘いだ今シーズン

2019シーズンはとにかく苦しんだ。シーズンが始まったばかりの1月下旬~2月、南米のブエルタ・ア・サンフアンやコロンビアの2連戦では、それまでに経験したことがないくらい良い感触をつかんだだけにそこからの落差は激しかった。

「今年の初めはすごく良くて、オフのトレーニングとかコンディション作りが成功して、南米2戦ですごくいいリザルトが出せて、それは今までにない最高の状態だったんですけど、そこからコンディションを崩してしまって……。食中毒と腸炎、内臓系を壊してしまって、そこから数か月全然ダメでした。4月のレースも、TOJ(ツアー・オブ・ジャパン)も全部ダメで。入りが良かっただけに、まったく走れない時期ができてしまって、練習ができない日も毎月約1週間くらいあって、結構つらかったですね。自信も無くなりました」

昨シーズンを終えた段階での中根のモチベーションは、自国開催のオリンピック出場にあった。代表選手選考基準も発表され、UCIポイントの獲得こそがチームとしても、本人としても優先事項であった。しかし、絶対にポイントを獲得しなければならないTOJでも結果を出すことは叶わなかった。もはや強迫観念とも言えるようなプレッシャーが中根を襲った。抱えきれないような不安が脳内を占める6月中旬、中根は国内での練習中に交通事故に遭ってしまう。

「後半戦にかけて、オリンピックのためのUCIポイントを取らなきゃって意識しすぎていた分、気持ちが苦しくなってきていました。中盤戦は体を壊して、ポイントが取れなかったので。でも事故したことで逆に気にならなくなったんです。そんなこと気にしなくていいやって、こだわらないように。とりあえずいつものとおりやってみようくらいの感じでやったら、気持ちも安定して、コンディションもちゃんと上向きになってきた」

事故は体には支障を与えた。しかし決して良い出来事ではないが、考えや気持ちを吹っ切るきっかけにはなった。

調子が上向いた終盤戦。最終戦ジャパンカップでの6位

ジャパンカップの最終局面でメイン集団に残る中根

ジャパンカップの最終局面でメイン集団に残る中根

9月のイタリアでの連戦では本来の調子を取り戻した。昨年も18位に入ったジロ・デッラ・トスカーナでは15位に入り、ポイントを獲得。シーズン中盤に喉から手が出るほど欲しかったポイントは、気負わずにレースを走ることで手中に収めた。中根は余分な空気が抜けたように笑う。

「普通に走れば普通に取れるし、そんなに気負う必要もなかったんですよね」

調子をつかみながら10月10日、グラン・ピエモンテでヨーロッパでのシーズンを終えた。その後、NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネのメンバーとして最後のレース、ジャパンカップを迎えた。

「今回のジャパンカップは来ている選手の層からレベルが高いとか言われていたけど、別にそんなに気負うこともなくいつものヨーロッパツアーの感じで入れました。自分の調子も良かったから、リラックスできてたっていうのもあるんですけど、それもやっぱりこのチームでハイレベルなレースに出し続けてもらったおかげで。そういうところの自信……、自信というか慣れですかね。その差は大きかったかなと思います」

その自信はレース運びにも明白だった。しっかりと余裕を持って勝負の場面を見分けられた。中根の過去最高の順位である6位という結果を生んだ。

ラスト1周の古賀志、厳しい表情で小集団に食らいつく

ラスト1周の古賀志、厳しい表情で小集団に食らいつく

「今年が一番レベルの高いジャパンカップになって、ワールドツアーの選手たちが完璧にコンディションを仕上げた状態のヨーロッパのレースと同等の状態のレースだったので、そこでの6位は価値がある、意味がある。良かったかなと。表彰台を逃して悔しいことには変わらないですけど。最後にはトップコンディションに戻せたので、一安心かなという感じでした」。

3年間で培った経験値。華やかな希望を失ったリアリストが進むその先

3年間プロコンチネンタルチームに所属し、ヨーロッパのレースを走り続けたことは中根の価値観を大きく変えた。別府史之や新城幸也がワールドチームでプロとして契約し続けることがどれだけ驚異的なことかも実感した。

「1年間ヨーロッパに行ってました、単発で何レースか経験してきましたっていうんじゃなくて、プロとしてヨーロッパにい続けることの価値、意義が全然日本で走っているのとは比べものにならない。全然違うんです。世界が。

日本(で活動している)の選手だって強いです。レースによっては日本の選手が勝つ場合もあるし、それはそれですごいことなんですけど、(比較対象として)一緒じゃないです。経験値の差が違いすぎる。僕だって彼ら二人には追いつけない。

でも今日本で走っている選手には僕は追いつかれないと思います。この3年間は、すごく大きな3年間だったので。本当に向こうで苦しい思いをして、辛い思いをして、それでもやっぱり諦めずにやり続けていたことのプライドはあります。つながってないとまでは言わないけど、全然違う世界です。Jプロツアーとヨーロッパツアーはまるで違う」。

3年間で嫌というほど世界との差を肌で感じた。自分の実力、伸びしろ、年齢。どんなに考えても、どんなに限界を超えても、世界の強豪たちは執拗なまでの勝利欲からの努力、そして才能を惜しみなく見せつけてくる。ジロ・デ・イタリアを走った初山翔も言っていた。「こっちは毎日全力で走っても最下位だよ」と。

勝てないレース(いや、勝つ見込みが立たないレースと言った方がいいだろうか)で頑張れと言われ続けるほど残酷なことはない。アスリートなんてみんな勝ちたいに決まっている。そんな厳しい環境でモチベーションを保ち続けるのは、想像を絶するような苦行なはずである。

”ツールで勝ちたい”とか”グランツールでステージ優勝したい”とか、華やかな希望はもう持てなかった。それでも中根は”プロ”であることを続ける。彼のモチベーションとなるものは一体何なのか尋ねると、少し苦い表情を浮かべてからこう答えた。

「ヨーロッパのレースで自分が結果を出し続けること。目標として毎年持っているのは、ヨーロッパツアーでトップ10に入り続けること。まだ入り続けたこともないけど、見えているところで走れているレースが何レースかあって、そういうところでトップ10に入っていきたいっていうのが今のモチベーションですかね。

毎年どこかで成績を残せていたように、来年チームが変わってもしっかり与えられた仕事をこなして、自分にチャンスが回ってきたときにしっかりつかめるように常に準備しておきたいと思います。それはもちろん優勝したいですけど、現実的な目標として、トップ10。最低でもトップ10に入ること。自分の得意なところで頑張る。本当の実力を知ったら、そう軽々と『ツールとかジロに出たい!』とは言えないです」。

3年間いたイタリア籍のチームとは違い、来季からは言語も、出るレースの毛色も異なる。また新たな経験値を獲得していくことになる。

「そこは合わせていかないといけないかな、とは思います。新しいことを吸収できるっていうのはすごくいいことだと思います」とポジティブに捉える。

楽しいばかりの夢を見ていられなくなった現実主義者が、長い旅路の先に見つけるものは果たして何なのだろう。またそのときがきたら聞いてみようと思う。

新たな地、フランスで中根は何をつかむだろうか

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