アンバウンド・グラベル200マイル、参加レポート 泥、熱中症に苦しめられた
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想像してみて欲しい。緑の草原に地平線まで続く舗装されていない一本道を、ある者にとって、そこは天国かもしれないし、地獄かもしれない。
そんなフィールドが視界いっぱいに広がるカンザスは、グラベルシーンのど真ん中。その地を舞台に行われる世界最大のグラベルレース、UNBOUND GRAVEL(アンバウンド・グラベル)に今回パナレーサーチーム「GravelKing Racing」として、3人の社員が一番熱いカテゴリーと言われる200マイル(約320km)に挑戦してきた。そのレポートである。
現場を見なきゃ、始まらない
たしか2022年の秋頃だったと思う、社内でグラベル市場の研究、そして一番大きいレースでタイヤに求められる要素は何なのか実際に確認するために、アンバウンド・グラベルの200マイルに挑戦しようという声が上がったのがきっかけだ。
挑戦者として白羽の矢たったのが技術チームの佐藤、品質管理チームの青木、そして私マーケティングチームの三上だった。この3人は日本のグラベルイベントでの経験はあるものの、海外のグラベルとなると初体験だった。
世界最大のグラベルレースというだけあって、世界各国から希望者が集まるためエントリー枠は抽選となっている。
2023年の募集は1月の年明け早々に開始され、開始時に早速応募を済ませたのだが、この時点ではまだフワフワとした気持ちで実感が湧いていなかった。
そして1月末の発表日に我々3人は無事エントリー枠を手に入れたのだった。
エントリー峠の次は、宿探し
エントリーの心配がなくなったら次の問題は宿である。
中心となるエンポリアはビジネスの街では無いので宿が少ないのだ。
今回は縁がつながり、なんとか普段オフィスとして使われている一軒家をイベント期間中借りられることとなった。
会場から近く安定したベースが持てるのがこれほど心強いとは、後から知ることになる。
オーナーからの要望で日本のクラフトビールをお土産として頼まれたのだが、宇宙ビールやウェストコーストブリューイング、バテレなど選び抜いたのはまた別の話で……。(気に入ってもらえて、来年も借りられますように!)
体力と機材力の両方を鍛えて
拠点が確保できたら、あとはレースに向けてトレーニングを積むだけだと意気込み、初春という自転車業界的に忙しいシーズンの合間を縫って、何とか走行距離と強度を上げた。
機材はもちろん、海外遠征に必要な諸々の準備を整え5月末にいよいよ渡米となった。
大阪伊丹から羽田を経由してデトロイト、デトロイトからカンザスシティと合計16時間以上の飛行機移動で、いよいよ運命の地に降り立ったのだった。
カンザス州エンポリアへ
左ハンドル・右車線の運転に慣れないなか、この地域で有名なBBQもちゃんと食べつつ、カンザスシティからエンポリアへレンタカーで向かった。
エンポリアの街中に入ると「サイクリストウェルカム」と書かれた看板も多く、自転車乗りを受け入れている雰囲気がとても心地よい。
無事拠点となる家と、事前に日本から送っていた荷物類を受け取ると一息つき、これから始まるエキスポ、そしてレース本番に臨むのだった。
落ち着いてからは撮影やグラベルキングの試作品をテストするために準備を進めた。
今回「GravelKing Racing」として新しくジャージを作ったのでぜひ見て欲しい。
日本からの長距離移動だったのだが、やはりすんなりとはいかず機材のトラブルが見つかった。輸送中なにか大きな衝撃を受けたためか会社で購入していたバイクのフォークにクラックが見つかったのである。
急いで現地で協力してくれるショップを見付け、代車を借りることができ難を逃れたのだが波乱を感じさせる一幕だった。(日本からも援助の声をくれるメーカーさんが沢山あり、有難い限りでした。)
レースまでの撮影やエキスポの様子はパナレーサーのSNSで上げているのでぜひ確認して欲しい。
そしていよいよレースに向けて夜が更けていく。寝たような、寝ていないような状態の中、朝4時半から準備開始をしてスタートラインに向かった。
冒険へ出発
6時のスタートに向けてプロクラスの選手達はすでに並んでおり、周辺にも人が溢れている。
目標タイムごとにグループが分かれているのだが我々は18時間の所に並ぶことにした。
国歌斉唱の後いよいよレースがスタートする。
レースと銘打っているが、我々のスタート位置では順位を争うような動きはなく、ゆっくり街を抜けて集団で最初のグラベルまで向かっていく。
そして直ぐに舗装路は終わりを告げ、美しい朝焼けに照らし出されたグラベル区間が始まる。
車も通るため基本的に道は締まっており、大きな岩もない平坦な道がずっと続く。
心は高まり知らず知らずのうちに先へ先へと早ってしまう。
困難は突然やってくる
そんな気持ちの良い区間は20km程度進んだ先に終わりを迎えた。後ろから見ていると急に人が詰まりだし左右の草むらに分かれている。
何が何だかわからず、そのまま道の真ん中を走ってしまうと数メートルで急にバイクが重くなりホイールの回転が止まってしまった。
驚きながら下を見ると粘り気の強い泥がタイヤにまとわりつき、草や石も取込みながらフレームとの間に入り込んでいた。必死に泥をかき出そうとするのだが、手だけでは無理だった。拾った木の枝で頑張ってかき出すが一苦労である。周りを見渡しても皆同じように泥に苦戦していた。
少し回転できるようになりまた乗り出そうとするが、数メートルも進まないうちに元の状態に戻ってしまった。
天を仰ぎあきらめ、他選手と同じく道端の草の部分をひたすら歩くことにする。歩きながらも泥は付いてしまい、車輪が回らなくなってしまうため、定期的に取りのぞかないといけない。そうして取ってはまた止まり、泥をかき出して……何度繰り返しただろうか?
顔をあげると遥か先まで同じように歩いている人の列が続くのだった。
この地獄は延々と続いたように感じたが、ログを見返すと5km程度だったようである。今年はここでリタイヤする人も多かったようだ。
地面が固まり、走れそうな路面になると皆こぞって泥をかき出し、水を得た魚のようにペダリングを初めていた。ただしチェーンやブレーキなど駆動部には泥が残っており、総じて精神衛生上良くなさそうな異音を響かせていたのだが。
我々も同様に泥を落として走り出した。
ここから先は木々の無い草原の中を抜けてオアシスと呼ばれる給水ポイントを目指していくのである。
これだ、これぞグラベルライド
細かい丘が連続し、大きな周期でアップダウンが繰り返されるのがこの地域の特徴だ。もちろんすぐ横には牛が寝そべっている。
路面自体は引き続き走りやすい道が続いているが、この辺りから序盤より砂利のサイズが大きくなりだした。下り箇所ではメインのライン以外は荒れている箇所もありバイクコントロールに少し気を遣う。
また、走行ラインは基本2ラインで自然と速い人と遅い人で分かれる形となる。
抜かす際は速いラインに移り、その後元のラインに戻るという車の動きと一緒なのだがここはアメリカ、左から抜かすのが基本となっていた。
そんな細かいことに注意を向けつつ余裕ができてきたので周りを見渡すと、我々同様に研究開発を目的にして新型のフレームや新型のコンポが持ち込まれテストされているのを目にした。
この世界最大のグラベルイベントは、やはりテストの舞台に使われているのである。
ここで出てきた意見をもとに更にブラッシュアップされて製品として発表されるのだろう。
とても楽しみである。
参加者のタイヤのサイズ的には700×38~42Cあたりがホットスポットだと感じた。
タイヤパターン的には大きなノブが必要な箇所はそれほど無かったため、センタースリック/サイドノブやスリックが多かったような印象だ。やはりこういう情報は脚で稼がないと分からない。
順調に走っていると後ろから頑張れ、頑張れという軽快な声が聞こえた。
振り返ると女子100マイルのカテゴリーに出走している当社アンバサダーの竹下佳映さん(以下カエ)さんだった。
頑張ります~と声を返すと、軽やかなペダリング走り去っていった。横で走っていたのは1位となったキャニオンスラムレーシングのティファニー・クロムウェル選手で改めてカエさんの凄さを目の当たりにしたのだった。
これから、ここから……
アップダウンをこなし70kmの走行距離になったあたりでついにオアシスが現れた。
水を補給しバイクに残った泥を落としていく。
この辺りで既に想定していた時間を超えており、少し焦りを感じ出し急ぎ目に。日本から一緒に来ているスタッフ(上司)が待っており、本格的な補給が取れるCP1に向けて走り出した。
時折現れるパンチのある上りをこなしていったのだが、ここで急に身体に違和感を覚えた。
急に力が入らなくなり、補給も摂取できなくなってくる。どうやら日陰や風が無いせいで暑さにやられて熱中症となったようだった。
こらえてCP1までの残り距離をみつつペダルを回すのだが徐々にきつくなってくる。
仲間もペースを合わせてくれるのだが、それさえも付いていけなくなるのがもどかしい……。
仲間達に先に行ってもらうと安心したのか脚のつりが出た。それからすぐ全身がつりだした。
たまらず道端に倒れ込み落ち着いてからまた乗り出すというのを繰り返す。
遮るものが何もない平原には容赦なく直射日光が降り注ぐ。
CP1まで辿り着ければなんとか回復して、という希望も己の体に打ち砕かれ、早く日陰で横になりたいという感情しか出てこなかった。
泥のようになった身体を何とか動かし、14時がリミットとなっていたCP1に13:59に滑り込んだ。
たぶん酷い顔をしていたと思う
横になり、口に入れられそうな物を何とか含むが全身のつりに阻まれて思うように身体を休ませることができなかった。
そして手の指までつるという状況下、このまま走る方が危ないと判断するとそのままリタイヤを選択した。サポートに回ってくれた上司は「それも大事な判断だ」と優しく言葉をかけて車に入れてくれた。
不思議と涙は出なかった。それは他に託せる仲間がいたからなのか……。
いや、泣きたくても泣けないほど乾いていたんだと思う
拠点の宿舎まで送ってもらうとシャワーで身体を流した後はベッドに倒れ込んだ。
僕がベッドで倒れている間も他のメンバーは順調にはいかなかったようだ。
大雨に打たれ泥道の押し歩きをまた体験し、ディレーラーハンガーが壊れて平原の真ん中で天を仰いでいた様子はチーム内LINEで確認できた。
冒険は続く
ここからは同僚2人の奮戦記になる。
230kmあたりの「The Judge」と呼ばれる激坂区間ではたまらずバイクを押し歩いたようだ。
21時を過ぎると街灯一つない草原の中を走るのには明るいライトがマストだった。
23時がリミットとなるCP2に22:36に到着した。
補給を終えると最後のゴールに向けて走り出した、そこから更に70km強のグラベル区間を走るのだ。
アイコニックになっている最後の橋(Rocky Ford Bridge)や、深夜でも鳴り続け寝不足の原因となっていた鉄道の警笛の音はゴールが近づいて来たことを感じさせ感慨深かったようだ。
午前2時を過ぎたころ、LINEの通知が無事20時間4分でゴールしたと報告をしてきた。
それを見ると達成感と同時に自身に対する悔しさがまた湧いてきた。
男子200マイルプロクラスの優勝者のタイムは10時間6分だった。もはや未知の領域過ぎて笑いが出てくるが、そういう場で使われる可能性があるタイヤを作らないといけないと思うとその現実に恐ろしさも感じた。
完走した2人と上司が戻ってくると、日本から送ったラーメンを皆で囲み、ささやかなお祝いを行った。
ゴール直後の感情を聞くと、達成感とほっとした気持ちと寂しさとまたチャレンジしたい気持ちだと言っていた。あとは舗装路のありがたみも強く。
我々のタイヤ、グラベルキングを使い無事に走り切った経験と感想は今後更に製品や品質に生かされていくだろう。
その後は夕方まで皆泥のように眠り動けないでいた。
何とか重い身体を起こし次の日には片付けを終え、慌ただしく日本に向けての移動開始となり、ちょっと慣れた左ハンドルの車や混雑する国際空港に別れを告げて皆無事日本に戻ることができたのだった。(今回はバイクも無事に)
今回のアメリカ遠征で我々が強く感じたのは、製品だけでなく、グラベルの本場での情報も伝えていくことで、日本にもグラベルを楽しんでいただく土壌をつくっていきたいと言うこと。
ぜひパナレーサーのHPやSNSに注目してください。
今回の機材
フレーム:サーヴェロ・アスペロ-5
コンポーネント:シマノ・GRX Di2
ホイール:ジップ・303FC
トップチューブバッグ:アピデュラ・レーシングボルトオントップチューブパック(1L)
サドルバッグ:アピデュラ・エクスペディションツールパック(0.5L)
ジャージ:パールイズミ・ イーガージャージ
ビブショーツ:イルーシブ・6ポケットカーゴビブ
ヘルメット:カブト・イザナギ
シューズ:シマノ・RX8
ライト:キャットアイ・ボルト800ネオ
クリップバー:プロ・コンパクトカーボンクリップオン
コンピューター:ガーミン・エッジ840ソーラー
タイヤ:パナレーサー・グラベルキング(プロトタイプ)
最後に、体調も落ち着いた頃アンバウンド・グラベルに向けて協力してくださった皆さんに結果報告をしたところ、終始お世話になったカエさんから#UnfinishedBusinessという文字が返ってきた。
どうやら僕の仕事はまだ終わっていないらしい。
来年もあの場所に立てるように願って。